脳汁生活。

脳汁生活

無重力アパシーなる日々。

僕らは誰かに説明するために、納得してもらうために、生きているわけじゃない

こんにちは、たっくん、たまに図2 (@usagoke_poepoe) です

 

ふと、ロジカルや論理の先には何があるんだろうなと思い、こんなこじらせたツイートをしてしまいました

 

 

 

 

 

 

 

説明できるものは、理解されているもの

 

ふと、メタップス佐藤さんのブログを思い出しました

 

ロジカルシンキングの弱点を考えてみた:ロジックを超えたロジックの話 | 佐藤航陽のブログ

 

新しいもの、独創的なものを生み出したいという人は、必読の記事なのですが、一見は良さげな、ロジカルであることの弱点を的確に捉えています

 

このロジカルシンキングの弱点は、他人を説得する際には絶大な力を発揮する一方で、物事の成否を見極めるには、それほど役に立たない点だと思います。

 

他人を説得する上では有効だが、自分がうまくいくかを検討する際には頼りにならない、という何とも不思議なツールのように感じます。

 

(中略)

 

構築できる「ロジック」はその人がかき集めれられる情報の範囲に依存し、それを見て「納得」するかどうかは意思決定を行う母集団の背景知識に依存してしまう、という事になります。

 

(中略)

 

現在の選択も論理に頼ってしまえば、過去の認識が作り出したパターンをなぞるだけの将来になってしまいかねません。

 

納得させられるもの、説明できるものは、すでに理解できることなんですよね

 

だから、そこから目新しさや、ユニークさは排除されてしまいます

 

発想を逆転させると、新しいものは理解も納得もできないものなんじゃないかなと思うんです

 

動き出せば、新しい情報が手に入り「認識」が常時アップデートされるはずです。

 

むしろ、限定的な情報や認識しか持ち得ない開始前の段階で、完璧に矛盾の無いロジックを構築できるほうが不自然と言えます。

 

(中略)

 

つまり、現在ではなく将来を起点にロジックを作ろうとするので、その時点での ”納得感” はある程度犠牲にする、という考え方です。

 

 

僕らは誰かに説明するために、納得してもらうために、生きているわけじゃない

 

生きていれば、必ずといっていいほどに、自分を説明しないといけない場面に出会うことがあると思います

 

人は過去の経験が、今とどう繋がっているか?「その経験はどう活きていますか?」、

 

過去と今との行動に一貫性を求めたがる生き物です「あなたの軸は何ですか?」

 

”幼い頃重病を患い、自分の命を救ってくれた医者を志し、自分と同じ難病を抱えた子どもを救う医者になった”

 

というのは、否定するわけじゃないですが、誰しもが納得し、賛美されるテンプレ的なエピソードなんです

 

でも、首尾一貫とした、誰かに説明のつけやすい人生ばかりじゃないと思うんです

 

好奇心の赴くままに、あっち行ったり、こっち行ったり・・・これが天職だ!と思ったらすぐ転職したり・・・めちゃくちゃ飽きっぽくて何にも続かなかったり・・・

 

人から見たら、「フラフラしてる!」「節操ない!」「ブレっブレ!」とか思われるかもしれません

 

でも、自分の価値観に基づいて、自分が納得していれば、いいんじゃないかなって思うんです

 

だって、僕らは、誰かに説明するために、納得してもらうために、生きてるわけじゃないですから

 

ぴょいぴょい