脳汁生活。

脳汁生活。

脳汁ブッシャーーー、ああ気持ちいい。

仕事は『誰を見るか』で全てが決まってしまう

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鬼ごっこの鬼を退治せよ。

目の前の仕事に追われれば追われるほどに、視野は非常に狭くなっていくと思います。基本的に企業で働く限り、必ずステークホルダー(上司や同僚、クライアントも含めてね)が存在します。(しかも選べない)

 

彼らは僕らに、あらゆるものを求めます。
締切、品質の追求、それに伴う責任と期待、プレッシャー・・・

 

えてして、僕らはその期待に応えようとしてしまいます。

 

遠くの何か本当の救いを望む人より、近くの短期的な結果を望む人に対して。

 

僕らの価値は何によって発揮されるのだろう。僕らは誰に対して価値を発揮したいのだろう。

 

そう思った時、目の前の、付け焼刃的な結果を求めようとする人は誰であれ、退治しないといけないんだと思う。

 

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僕もそうです。僕は出版社に勤務していて、月刊雑誌の編集に携わっていますが、ユーザーの多くって、高齢者なんですよ。

 

既存のコンテンツの質を上げて、そんなユーザーの満足度を高める努力も必要なんでしょうけど、僕はやっぱり、同世代の若者の意識を刺激するようなコンテンツを作っていきたいと思ってます。

 

そりゃ、僕が一番やりたいのはこのブログですけど、事実、会社にいる時間の方が長いわけで。その時間をぼーっとしてるのはもったいないなと。

 

かといって、その名の通り、鬼編集長が納得できる企画を作らないと、自分の思いは具現化されない。

 

う~ん。個人でこんなブログなり詩なりを作っている時は、自分がやりたいと思ったらすぐできますからね。

 

自分のやりたい思い、それを届けたい人たちの前に、上司とかいう、フィルターを見ないといけないとは、組織の辛さだなと思います。

 

組織の中では、その鬼を納得させるためのエビデンスを揃えなきゃいけないんでしょ。んで、圧倒的な成果を残して、初めて鬼退治完了かな・・・

 

 

ゴールで待つ者は誰か

 ほんとに面白いくらいに不思議なことで、組織って規模が大きくなるほど、歴史が流れるほど、原点に立ち返ることが少なくなるなあと思います。

 

とりあえず、給料が貰えるから惰性でやっているのか、そもそも自分たちは、何のために仕事をしているのかと問う余裕もないほどに追い詰められているのか。

 

どちらにせよ、自分が今やっている仕事に意味づけなり、意義なりを感じなければ、難しいなあと思うんですよ、この先。

 

僕は月刊雑誌を担当していて、地域の行政問題とかを扱うんですが、テーマが毎月あるわけですよ。

 

当たり前と言っては当たり前ですが、それって、時事問題の深堀りでしかないんですよね。
え?それでいいじゃん!と言ってしまえば、終わりですが・・・

 

○○法が国会で通ったから~とか、今はこのニュースがホットだから~というのは、なんだろうなあ、魂を感じないんですよね。

 

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いや、僕の雑誌はある問題に特化した専門誌ではなく、浅く広くという新聞的な要素があるので、例えば、『姓の多様化!』とか、『環境問題!』というような、没入観を感じにくいってのはあるかもですが。

 

誌面の内容に関わることで、言語化もうまくできずに、抽象的になってしまいますが、制度や経済、政治といった情勢の変化の中で、人がどうして、どうやって、どんな思いを抱えて生きているのか、生きづらさがある時代のデザインの仕方っていう部分を発信するものはいいなあって思うんですよね。

 

生きるを再定義するというか、生き方のロールモデルの総量を増やすというか、生き方を可視化していくというかね・・・

 

鳥井さんの『灯台もと暮らし』なんか、そんな感じで素敵だなあって思うんですよ。

 

経済や政治や制度の問題を分かりやすく伝えるとか、そういった、既存の知識を深堀して違う角度から解説するっていうのも、もちろん必要だし、面白いと思うんですが。

 

その先には、やっぱり人の生きる姿があると思っていて、その意識の琴線に触れて、読者も、寄稿者も心震えるような人生に出会えるような、そんなメディアが作れたらいいなあと。

 

ゴールで待つ者は、きっとそういう人なのかなあと。

 

なんか、熱く語ってしまいましたが、誰を見て、どんな自分にしかできない価値を提供していくのかという話は、忘れてはいけないなと、噛みしめましたね。

 

ぴょいぴょーい!